週報というには気まぐれなタイミングですが。ひとりで更新していくとなかなかネタがないものです。きょうは以前Urban Typhoon SimokitazawaのSODE Mappingでコラボレーションした舞踏批評家、吉田悠樹彦さんのご紹介で、舞踏家の西田堯先生のダンス研究所を訪問しました。Nagasaki Archiveのデモをお見せしてご意見をいただき、追加インタビューのお願いをしてきました。
西田先生は1966年に西田堯舞踊団を結成し、公演活動を行なってきた舞踏家です(1988年に紫綬褒章を受章)。80代半ばを過ぎてらっしゃいますが大変お元気で、三十代の我々が気魄に押される感じ。写真はiPadを操作されている西田先生。
20代のころに長崎の大村で原爆を体験されたこと、多数の被災者が大村の病院を頼って集まってきたこと。当時の体験が、創作活動に深い影響を及ぼしていること、などをお話いただきました。年明けにしっかりとしたインタビューを行い、証言を記録・公開させていただく予定。現在のNagasaki Archiveには一般の方々の記憶がアーカイブされています。今後は、今回採録予定の西田先生のインタビュー記録をはじめ、芸術家がみた原爆の記憶も網羅していければと考えています。ヒロシマ・アーカイブについても同主旨の企画が進行中。
余談ですが、最寄り駅(ではなかったのですが)の西馬込駅への電車、駅を降りてから研究所までの徒歩、道程をすべて通して史上最大級に道に迷いました。ウェブサイト上の住所には「西馬込三丁目」とあったのですが実際は「中馬込三丁目」。Googleのルート検索もiPhoneのGPSナビも人間のケアレスミスにはかなわず、最終的には先生にお電話して直接お教えいただいた次第。卒研生、高田百合奈さんの卒業研究にとって格好の事例となるかも。(wtnv)