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3年間の研究室生活を終えて

お久しぶりです。修士2年の高田健介です。

今春、Web系の企業に内定を頂き、渡邉研究室を卒業することになりました。なので、大学・大学院生活を振り返っての記事を書こうと思います。先生からのリクエストが「集大成で」ということだったので、長い上に多分に自分語りっぽい記事になりますが、ご容赦下さい(スタジオのブログでこれって大丈夫なのかちょっと不安ですが…)。

■渡邉研究室に来た理由

元々絵を描くこと、創作をすることが好きだったこともあり、進路として一番に考えていたのは「ゲーム制作者」でした。ちょうど大学の最寄り駅にゲーム開発会社があると知った自分は、学部3年の3月頃、その会社にポートフォリオを送り、アルバイトとして勤務を始めようとしていました。

しかし、会社から求められたのは平日の4日のフルタイム勤務。ツールの使い方も知らず、ほとんど見習いのような状態で入ったので当然だったのですが、これが研究室選びで大変な条件となりました。

それまで仮で所属していた研究室は、具体的な「モノ」を作る研究室。これに対して、ネットワーク研究室は「Webに結びついた何か」を作る研究室なので、毎日研究室にいなくてもゼミを取ることができるのではないか…。ということで先生に相談をし、渡邉研究室に入ることになりました。

文章にしてしまうと結構消極的な理由になりますね…。ただ、Webは中学・高校の頃から触れ、その独特な文化も好きで、サービスやサイト作りに自信があった、ということもあり、元々強い興味がある研究分野の一つでした。

研究室に入って以降の学部4年の間は、週4日ゲーム会社でデザイナーとして働き、残りの1日でゼミに出席、週末は課題をこなす、といった生活をしていました。

■卒業制作

学部4年の10月頃、アルバイトでゲームソフトを1本リリースし一段落したので、卒業制作にとりかかりました。ここで散々悩んだのがテーマ設定。一般的に卒業制作・論文に求められるのが、「社会的な意義のあるテーマを設けること」で、自己満足な表現が大好きだった自分は、この視点でものを考えることに不慣れでした。

散々迷ったのですが、まずは見識を広めるために、iPhoneを購入。当時のモバイル(スマートフォン)アプリの躍進は凄く(今もすごいですが)、色々なものを試し、興味を持てそうなものを探しました。

当時は「セカイカメラ」が出始めた頃で、位置情報・ARアプリ開発が活気づこうとしているところでした。それらをひと通り眺めてみて思ったことは「位置情報のコミュニティは、何か狭い」ということでした。

その時は、この感想をなかなか具体的な言葉に出来ませんでした。今考えるとおそらく、今いる場所の情報しか受け取れない「縛り」の設定がおかしいのではないか…ということだったのだと思います。

結果的に、その点を解決する方法として、「矢文」の概念を利用し「土地に向かって文(情報)を撃つ(投稿する)」インタラクションを用いた「E-YABUMi」を提案しました。ただ、アプリとしてのリリースは出来ず、不完全燃焼感を持ったまま、修士課程に進学することになります。

■修士過程へ進学、アースダイバー

修士課程進学当初はフォントづくりをするなど、テーマとは離れて適当に好きなことをやっていたのですが、夏あたりにかなり沢山のタスクを抱えることになります。

まずは「アースダイバーマップBis」。これは多摩美術大学・中沢新一研究室と共同制作で、「ブラタモリ」のような、東京の街歩きを楽しくするためのコンテンツとして制作したものです。

このプロジェクトでは、複数のタスクを抱える中でいかに自分のスケジュールを調整して制作を行うか、ということを学びました。と言っても当時は大したことをしていなかったので、自分の中で思うように制作が進まなかった部分もあり…、忙しい時期が終わってから思い返してみて、反省することによって学んだ、という感じでした。

それまでシングルタスク人間だった自分が、マルチタスク人間に少しだけなれたきっかけのプロジェクトだったと思います。(結果的に、多摩美術大学の方々がコンテンツとしての完成度を非常に高めて下さったので、とても良いプロジェクトとなりました。その節は色々とご迷惑をお掛けしましてすみませんでした。。。)

■ソーシャルゲームの制作

大学外の活動ですが、アルバイトでソーシャルゲームの制作も行いました。ソーシャルゲームは、近年盛んなモバイルアプリの中核とも言えます。一見ライトなアプリを作って効率良く収益を出しているように見えるのですが、実際に現場に入ってみて分かったのは、想像以上に大変なことが多いということでした。

個人的に一番挙げたい「大変なこと」は、「ユーザーのリクエストに応えつつもエンターテインメントとして面白くしないといけない」点でした。当時の体感的に、「リクエストに応える」と「面白くする」はかなり相反した概念で、適当な落とし所を見つけることに凄く苦労しました。その上、これを1週間や3日といった、かなりの短期間で実装しないといけないのです。これは凄く精神力の必要な仕事でした。

このソーシャルゲームのリリース後、大学の研究・制作などに集中し始めます。

■海外インターンシップ

修士1年の夏前、僕はインターンシップの事を考えていました。当初はアルバイト先であるゲーム会社にインターンシップとして行こうか、と考えていたのですが、それだと普段と変わらないので物足りなさを感じていました。

その時、先生がふと「海外に知り合いの勤めている会社があるけど、紹介しようか?」と声をかけてくださったのですが、当時僕は一度も海外に行った経験がなく、「旅行でも行ったことないのに、海外インターンなんて出来るわけがない」と思い込んでいました。

ただその後、無理かもしれないけど言うだけ言ってみるか、くらいの軽い気持ちで「お願いします」とお願いをしました。

これがなぜか上手いこと話が進み、アメリカ圏にある某社に行ける事になりました。

その会社は、ゲーム会社等からの出資を受けながら、「メタバース(例:Second Lifeなど。3Dになったインターネット空間、と言えば分かりやすいのかな)」を制作している会社で、日本人とアメリカ人が共同で働いていました。

現地で触れたプラットフォームは、それまでWebと言ったら、HTML5やWordPressといったごく狭い視野で物事を捉えていた自分にとって衝撃的なもので、かなりワクワクしました。(それまで、Second Lifeには触ったことがありましたが、いまいちピンとくる感じではありませんでした)

加えて、社員さんたちが働いている環境そのものが、僕にとって刺激的でした。こういう環境にデザイナーやプログラマーを置いたら、間違いなく沢山の人に支持されるものが作れるな、と直感的に思いました。

僕は現状、起業だとか独立だとかにそれほど興味がない状態ですが、将来的にもしそんな感じで食べていくことになったら、確実に色々真似をすると思います(笑)。

ここで体験した出来事は、多分一生忘れることはないと思います。それぐらい濃い時間を過ごすことができました。約2週間の滞在でしたが、この間に数年分の情報のインプットができたと思います。反省すべきは、滞在期間をもう少し長く設定すべきだったことくらいです。(当時お世話になった方々と、交通・滞在費を出してくれた大学に本当に感謝です。)

■東日本大震災、計画停電MAP

その夏でかなり完全燃焼してしまい、長いこと燃え尽きていたのですが、そんな気分を破ったのが2011年3月11日の東日本大震災でした。

あのただならぬ空気の中で2日間ほど、テレビの放送とtwitterに張り付き、その時の情報を追うだけに精神力を使って、それ以外何もできない状態が続いていました。

3月13日夜に計画停電が発表されると「これは、授業やアースダイバーでやった“マッピング”を使えばもっとわかりやすくなるのでは」と思いたち、その場にいた現修士1年の北原と一緒に「計画停電MAP」の制作を始めました。

これが幸運なことに沢山の方々からの協力を得られ、同種の地図をGoogleやYahoo!といった大手のWebポータルサイトよりも先に公開することが出来ました。

作っていた側から見ても突風のようにあらゆる事・時間が過ぎ去っていったプロジェクトでしたが、その時に下したいろいろな判断が間違っていなかったことを後で確認できたので、本当によかったと思います。

ただ、出来るならば、もっともっと困っている人たちにアプローチしたかった、というのは事実です。あの災害の規模を考えたら、PCで計画停電のエリアをチェック出来るだけ幸運な環境だったと思うので…。

この件に関しては修士論文でもまとめたので、後日詳細を文章にしたいと思います。

■就職活動

アルバイトで学んだことと、研究室で学んだこと、それぞれを共に今後に生かしたかったので、ゲーム会社とWeb関係の会社を軸に就職活動を進めました。

就職活動はかなり運の(ような)要素が強いと思うので、結果論でしか語れませんが、評価されやすかったポイントは、長期的な視野で物事を見ることができ、かつそのビジョンに対して自分なりにものが言えるかという所だったように思います。

「ツールが使える」「アルバイトをしていた」という局所的で実務的なところは、2次・3次面接に残るような人はほとんどの人が大なり小なり心得ていて、その評価はあくまで下地です。(比率は会社により違いますが…。)

実際に動いてみて、その体験をもとに自分のオリジナルで語れる部分があるか、そこに、自分の人格がうまい調子で出ているかどうか、という所が、面接官も聞いていて面白いのではないでしょうか。

結局、それなりに苦労はしたのですが、先に述べた視点での面接が自然にできた、Web関係の企業に内定を頂きました。

■ヒロシマ・アーカイブ

就職活動の前後で、ヒロシマ・アーカイブの制作も行なっていました。

アーカイブの制作は、とにかくミーティングの回数を重ね、アイコンの表現一つをとっても妥当性を議論して行なっていきました。

それまでは「制作」と言うと自分の手癖でモノを作り、表現を細部まで考えこまずに行なっていた部分があったのですが、このプロジェクトでは一つ一つの表現に細かく理由付けをし、議論を重ねることで、プロジェクト全体に対して洗練されたデザインが出来たと思います。

加えて、ヒロシマ・アーカイブの特徴は、実際に現地に足を運び取材をし、平和祈念資料館での発表を行うなど、Webだけでは終わらない「活動」としてプロジェクトを進行した所にあります。平和祈念資料館の発表の時に、被爆者の方から直接感想を頂く機会もありました。

Webばかりを見ていると、いつの間にかWebを中心として色々なものを見てしまうようになるのですが、それは全く逆で、実世界の問題を解決するための手段としてWebを使うべきだなと。このスタンスはおそらく恒久的だと思うので、新しいプロジェクトを立ち上げよう、となった時、ヒロシマ・アーカイブで行ったことを思い出して、自分の立ち位置をリセットしたいと思います。

受賞巡業(?)

最近僕が関わったプロジェクトは、ありがたいことにとても良い評価を受けています。授賞式や講演のお話が多くあり、先生に付いてここ半年ほど色々な場所に行き、色々な人と会っています。

その懇親会には、いつも色々な分野の面白い人、すごい人が集まっていて、どこかに行くたびに刺激をもらって帰ってきます。これがまた、次のプロジェクトや今後の自分のあり方について考える良い養分になっています。

僕はもう研究室を卒業してしまうので、刺激を受ける機会が減るのではと心配ですが、今後は自分からこういった場所に出向けるよう、企業に所属しながらも個人でもうまいこと活動していきたいと思います。今後の活動はwww.sou-sou.net(個人ページ)で報告していく予定です。

■これから研究室に入るひとへ

これは学部卒業生も書いているみたいなので一応。

僕の話で申し訳ないんですが、僕がここ3年間くらいで勉強したことは以下の2点です。「その年齢になって分かったことがそれ!?」って内容でもあると思うのですが…。

・学生は基本的に何やっても許される。大胆に行動・発言すること。
何やっても、とは多少言いすぎですが、これくらいの気持ちで行動して下さい。「学生」はかなり強力な免罪符です。ちょっと足りない思考でものを言っても、お偉いさんに会いに行っても、未熟な作品を出しても、無茶な注文をしても「まぁ学生だし」で大半の評価に下駄を履かせてくれます。これに甘えない手は無いです。

これを繰り返してレベルアップし、「これで学生なの!?」って言わせられると凄く良いんじゃないでしょうか。

・もう一度幼児並みの好奇心を取り戻して、ものを考えること。
上の行動をしても、話した時に「自分のやってることにしか興味がありません」だとどうも話が広がりません。自分の興味がある分野の周辺から、たくさんの事を広く知り、一般化した話ができると不思議とその次に繋がります。

理想は幼児の好奇心だと思います。あらゆることに「なんで?」と突き詰めて考えてみると、意外と自分の考えが浅い事に気づくと思います。実はこの問いかけは、論文を書くとき、就職活動でエントリーシートを書くときにも有効なので、習慣にしておくといいと思います。

■まとめ

今考えるとかなり軽い気持ちで選択してしまった研究室選びでしたが、結果的には大成功でした。ただ、今までの人生の中で一番大変な3年間でもありました。

余りにもすべきことが多いので、今まで余計なことを考えていた脳の領域や、余計なことをやっていた生活をデフラグの如く最適化する必要もありましたし、やれるかどうか分からないところをまず「やる」と言っておいて、あとから気合でなんとかする、みたいなこともありました。

ただ、これらは典型的B型の性格の僕が社会に向き合う上で必要不可欠な事でした。この3年間がなければ確実に「これだからゆとりは…」と言われる程精神的に子供だったでしょう(と思ってるとまた甘い部分を発見するのでしょうけれど…)。

まだまだ、やらなければならないことは多いですが、10年前の自分に自慢できるようなことはできていると思います。ご助力頂いた学校、研究室の友人と渡邉先生に本当に感謝です。ありがとうございました!

(高田 健介)

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「平成アーカイブ」:首都大,宮城大,慶應大,早稲田大による合同課題

「平成」が終わろうとしています。新しい元号は2018年夏に発表され,2019年より,新元号に載った歴史がはじまる予定です。みなさんが現在3年生だとしたら,大学を卒業する直前に,新しい元号に切り替わることになります。

「平成」は1989年1月8日からはじまりました。受講者のみなさんのこれまでの人生は,「平成」のタイムスパンにすっぽりと収まっています。「平成」のあいだに,17人の総理大臣が就任し,ベルリンの壁崩壊,バブル経済の崩壊,アメリカ同時多発テロ,湾岸戦争,世界金融危機,東日本大震災など,多くのできごとがありました。新元号に切り替わった瞬間に,こうしたできごとには「平成」というタグが付けられることになります。みなさんは,講師陣が「昭和生まれ」であるように,「平成生まれ」と呼ばれるようになるわけです。

さて,第二次世界大戦と太平洋戦争には「昭和」,関東大震災には「大正」,そして日露戦争には「明治」というタグがついています。しかし,これらのできごとは連続した時空間のなかで起きたものであり,歴史の深層において関連しています。過去のできごとは,みなさんが生きるこの瞬間と地続きであり,また,未来の世界にもつながっていきます。年号によるタグ付けは,こうした意識のなかのつながりを,ときに断ち切ることがあります。こうした断絶は,国境,人種の違いなどによってもたされるものと同質のものかもしれません。

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作品制作の指針

テーマは「平成アーカイブ」です。上記の課題文を踏まえ,朝日新聞フォトアーカイブの写真を活用して,メディア,プロダクト,アート作品を制作してください。作品制作には,以下のような対象に提案する想定で取り組んでください。
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アイドル,ドローン,ファッション...私たちの研究をつなぐもの 週報20170608

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 実は,ゼミに身を投じると,バラバラにみえるテーマも,何かしら繋がっていることに気づきます。テーマだけに焦点を当てると抽象的でも,仲間の発表を聞き,議論するうちに,それぞれの研究の共通点が浮かび上がってくるのです。
 そして,自分の研究の新たな切り口を見つけるきっかけにもなります。"ネットワーク"という大切なキーワードでそれぞれの研究が繋がっていることを体感できる毎回4時間の学びは,まさに財産です。


 「最初からアイドルの研究しかないと思いました」。
 力強い声でこう説明したのは,4年の増田琴美さん(通称・こっとん)。

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【特別編】広島で始まったカラー化の取り組み 週報171123

東京では紅葉が見ごろを迎えています。  銀杏並木の葉は、黄緑色から黄色に向かう最中で、グラデーションが秋を形作っています。風がそよぐと落ち葉はフワッと舞い、歩けばカサカサした音が聞こえてきます。  沖縄では体験できない秋を堪能しています。  M1の與那覇です。

 そんな季節に広島に研究調査に行く機会を得ました。




 目的は、広島女学院の高校生たちが始めた戦前・戦中の写真をカラー化する取り組みを調べるためです。11月上旬に首都大でのワークショップに参加した一人、Nさんが渡邉先生の色付け技術を学び、スタートさせていました。


 カラー化をしている白黒写真は、濱井徳三さん(83)が保管していた戦前、戦後の家族の写真です。濱井さんのご家族は、原爆によって亡くなられ、濱井さんは「原爆孤児」となりましたが、写真には家族のピクニックの風景や濱井さんの自宅だった理髪店の様子などが残っています。

 実は、調査に行く前、Nさんとのメールのやり取りで、こんな一文がありました。

 「濱井さんの大切な形見の皿時計を見せて頂いたのですが、その皿時計が、店内を写した写真に写っていることが判明しました!!!」

 新聞記者の私としては、記者魂が疼きます。   色付けをするプロセスの中で、写真に写り込んでいる物が分かったこと、そしてその物が未だに残っているのは奇跡に近いことです。

 また、私の出身地である沖縄の戦争では、時計に関する住民の証言をほとんど読んだことがありませんでした。  直感的に、広島では時計は身近なものだったのかもしれないという仮説が立ち、広島の時計産業について調べ始めました。

 しかし、東京で資料を探してもたどり着きません。そこで、戦前から続いていると思われる時計店に一軒一軒電話。話をきいているうちに、少しずつ広島の時計産業の歴史の輪郭が浮かび上がってきました。




 1泊2日の短い出張の合間に唯一話を伺えたのが下村時計店です。原爆が投下された時、本店は爆心地から約620メートルにあり、建物が一部残りました。現在もその跡地に店を営んでおり、当時の市民にとって時計がどんな存在だったのか、記憶の限り伺えました。

 さて、肝心の実物の時計。平和記念資料館の協力を得て、約2万点の収蔵品が眠っている倉庫へ。濱井さんが寄贈した時計を見せてもらえることになりました。

「書籍の時空間を可視化 / 視覚化する」ネットワーク演習実習A課題

Ben Fry "Valence" 
書籍は,ストーリーが織りなす「時空間」を内包しています.今回の課題では,デジタルアースを使って,書籍が持つ時空間を可視化 / 視覚化します.

デジタルアースには,全球規模の空中写真,立体地形が網羅されています.さらに,ビルボード,ポリゴン,オーバレイなどの機能を組み合わせて,さまざまなコンテンツを載せることができます.タイムスタンプを付加することで,時間軸に沿った変化を表現することも可能です.

自分自身の座右の書,好きな本など,この課題に適していると思われる書籍を一冊選び,その書籍が内包する「時空間」を,デジタルアース上に展開してください.なお,可視化 / 視覚化の用法の違いについては,以下の渡邉のツイートを参照してください.

先日も書いたように「可視化」と「視覚化」は使い分けやすい。それぞれ、プロ向けと一般向け。因果関係も逆。可視化して事実を見いだす / 見いだした事実を視覚化する、といった具合に言いわけられる。 — Hidenori Watanave (@hwtnv) February 21, 2015
■スケジュール
4/21 課題説明,GitHubの演習,ローカルサーバの構築4/28 Google Earth,KMLの演習,アイデアシート作成5/12 アイデアシート提出,Cesiumの演習5/19 作業5/26 作業6/2 提出+プレゼンテーション  ■参考リンク

https://docs.google.com/document/d/1IsZSFRS_k7-_0kHHx0-whXONDoPBgOR7yYY0ZqeFTOo/edit?usp=sharing

号外 週報170905

こんにちは、B4の渡邉です。


夏休み?も後半に入りました。夏休みの前半はどうだったでしょうか。自分は徳島や新潟を訪問し、多くの人との繋がりを感じました。今までの人生でもっとも濃い夏休みです。
十分濃くなった夏休みも今回紹介するイベントでさらに濃さを増しました。それも大幅に。


ワークショップ

今回の舞台はほぼ日さんのオフィスです。外苑前駅から徒歩5分のビルの上層階にあります。オフィスのエントランスに着いただけで研究室メンバーのテンションは高まっていました。

4月のアイデアダンプから始まったプロジェクト。4月の時点ではスライドでプレゼンするのみでしたが、今回は学生一人ひとりがアイデアを形にしてプレゼンします。

プレゼンの準備をしていると、糸井重里さんが会場にいらっしゃいました。ただでさえ高まっていた研究室メンバーのテンションは最高潮に。



プレゼンは発表者を囲む形式で行われました。写真のように、制作物をタブレットを通してご覧いただきました。「おおー!」という歓声が聞こえたり、制作物へのコメントが聞こえたりと活気のある会場。充実で満たされていました。

印象的だったのは、糸井さんの鋭いコメントです。研究室メンバーが気にも留めていなかったことを新たな可能性として引き出してくれます。研究室メンバーもすっかり聞き入っていました。

アイデアを出すのが得意な人、デザインが得意な人、技術を扱うのが得意な人。
様々な人で私たちの研究室メンバーは構成されています。お互いに刺激を与え、スキルを組み合わせることで良いものを生み出すことができます。今回のプロジェクトでも研究室の強みを発揮していきたいです。





ちなみに研究室側で一番テンションが高かったのは渡邉先生です。

活動中の写真もいただいたコメントも掛け替えのない財産です。ほぼ日の皆様、本当にありがとうございました。次にお会いできる日を研究室一同楽しみにしています。



イベント後イベント後にオフィス見学をさせていただきました。 開放感があり、お洒落なオフィス。「ここで仕事ができたら最高」と思わずにはいられません。
下の写真ではオフィスの一室に飾られていたあるものをこぞって撮影しています。ヒントは糸井重里さんに馴染みのあるアニメ制作会社です。

その写真は研究室メンバーのスマホに宝物として取っておくことにします。


【号外 週報171022】アジア地域の防災リーダーたちと学んだウルルン滞在記

こんにちは!M1の福井です。10月に入って急に寒くなったり猛烈な台風がくるなど近年は私たちの想像をはるかに超える気候変動や災害が発生しています。今回、号外版ということで私が先日約2週間参加してきた防災教育育成プロジェクト「HANDs!プロジェクト2017」について書きます。

HANDs!プロジェクトって?HANDs!のプロジェクトとは、hope and dreamの頭文字をとったものである。アジア9ヵ国(フィリピン・インドネシア・タイ・インド・マレーシア・ミャンマー・ネパール・カンボジア・日本)から防災や環境に関して普段から取り組んでいる21~33歳までの合計26人(以下、フェロー)が、防災教育・環境問題・復興問題について考え、次の時代の"防災"を背負って立つ人を育成するプロジェクトである。 今回は、第1期としてフィリピン(5日間)と日本(5日間)を訪れ、フィリピン研修ではデザイン思考・システム思考などプロジェクトの立ち上げ方やプロトタイプの作成、日本研修では東日本大震災の被災地を訪れ、学校現場での防災教育のあり方や地域コミュニティの作り方などを学ぶ研修であった。第2期は、来年2月に行われるインドネシア研修(1週間)が行われる。参加するフェローたちは、この2回の研修を経て、アクションプランを作成し、来年1年間かけてアクションプランを実行するものとなっている。 中学生たちと共に学んでいったフィリピン研修 フィリピンの首都マニアから1時間以上車を走らせてついた先が、今回の研修地マキリン山。フィリピンは熱帯地域であり、降り立った時から、日本でいう6月の梅雨以上の湿気がありジメッとしたところで、1日に1回スコールといった短時間の激しい雨が降る。フィリピンは排水処理が整備されておらず、この雨によって浸水したり山の方では、土砂崩れが発生するなど災害の被害も多い地域である。 フィリピン研修では、主に「デザイン思考」「システム思考」「風・土・水の人」の作り方を学習し、フェローたちだけでなく、PHSA(フィリピン芸術学校)というデザイン・ダンス・文学などを専門に学ぶ中学2年生たちも一緒に参加し学んでいった。
それぞれの関係者を巻き込んでいく「風・土・水」の理論  風の人:新たなアイデアやイベントを運んでくる「種」を生むNPOなど  水の人:風が運んできた「種」を地域に…

ウェアラブルデバイスによる身体動作のリアルタイム・フィードバックシステムの開発 -エンターテインメントと理学療法における応用-

はじめにどうもこんにちは、修士2年の小宮です!
このブログで書かせていただくのは今回が最初で最後ですが、自身の研究と作品について書かせて頂きたいと思います。


簡単に自己紹介をさせてもらうと、私は学部からこのインダストリアルアートコースで学び、修士もそのまま進学しました。


学部4年次の研究室はインタラクティブアートについての研究を行い、ダンサーが踊りによって音楽を変えられるデバイス(GROOVE)を作っていました。


その後、修士からはこちらのネットワークデザインスタジオに所屬し、Web技術やデザインを中心に学び、4年次に学んだハードウェアの技術と掛け合わせながらプロダクトを作っています。
詳しい自己紹介はこちらもよければ御覧ください


その中で生まれたのがこれから紹介する「PetaPeta」と「smarTcane」です。
どちらもウェアラブルデバイスを中心としたプロダクトであり、特に意識は全くしていなかったものの、気がついたら3年間ハードウェアの技術を使いっぱなしでした笑



それではそれぞれの作品の紹介に移ります。


作品・研究紹介①PetaPeta
サイトはこちら!
PetaPetaは靴の中敷型デバイスとスマートフォンを使って遊ぶ鬼ごっこゲームです。


鬼ごっこというとタッチしたり、されたりを繰り返しながら門限になったら終わり…のような曖昧なゲームだと思います。


そこで1つルールを作りました。
それは


「制限時間内に一番長い距離を逃げた人が勝ち」


つまり、時間が決まっているのでちゃんと終わりが来ます!笑


ただこれだと、足の早い人が有利になってしまい、今までの鬼ごっこ同様足の速いモテる男子が勝ってしまいます。


それではテクノロジーの意味がありません。
そこでインソールデバイスの登場です。
インソールデバイスは走っているのか歩いているのかを計測し、もしプレイヤーが歩いているとプレイヤーの持っているスマホの地図上に自分の足跡がでてしまう
のです。
すると、自分の位置が鬼を含む全プレイヤーにバレてしまうという仕組みです。


一方、鬼でいる間は走っても歩いても一切ポイントが入らず、どんどん他のプレイヤーに差を付けられてしまいます。
なので、地図上の足跡を頼りに他のプレイヤーをいち早く捕まえに行きましょう!


鬼のタッチ自体も直接体を触ってタッチするのではなく、Bluetoothを用いた近距離通信により、3mほど近づくとタッチとなります…

原爆の記憶をデジタルで継承:「高校生平和会議」をアメリカで!クラウドファンディング開始

デジタルアーカイブを活用した「日米・高校生平和会議」開催のためのクラウドファンディング開始のお知らせです。 

5月27日、オバマ氏が現役大統領としてはじめて、広島を訪問します。歴史的なできごとであり、世界の人々が願ってきた「核兵器廃絶」への原動力となるはずです。被爆地である広島・長崎から世界へと視野を拡げ、「人類と核」の在り方について、考えるための絶好の機会です。

 例えば「ヒロシマ・アーカイブ」に参画している広島女学院高の生徒たちは「オバマ大統領を私たちの高校に呼びたい!」という想いから「Project Obama」を立ち上げ、活動を展開しています。若い世代が、新しいかたちの平和活動をスタートしています。こうした若者たちのエネルギーは、インターネットを通して、世界につながっていきます。


私たちはこの機に、広島・長崎の高校生をアメリカに派遣し「日米・高校生平和会議」を開催したい!と考えました。会議の参加者は、日米の高校生、一般市民、そしてアメリカ在住の被爆者を想定しています。 会議では、原爆資料をまとめたデジタルコンテンツ「ヒロシマ・アーカイブ」「ナガサキ・アーカイブ」を活用します。


人々の興味を惹きつけ、理解をたすけるデジタルツールを軸にして、高校生と市民、被爆者が一つのテーブルを囲み、原爆と太平洋戦争の歴史について知識を深め、議論する場を提供します。 これらの会議開催にあたって、アメリカのボストン・ニューヨークに高校生を派遣します。

開催日:2016年9月19日〜22日(予定)開催地:ボストンおよびニューヨーク(予定) 会議においては、以下の内容を実施します。

米国在住の被爆者による講話会ヒロシマ・アーカイブ、ナガサキ・アーカイブの体験学習アーカイブに資料を追加する体験学習被爆者・学生・市民によるディスカッション

会議をとおして、日米の若者と市民が同じテーブルに付き、デジタルツールを活用しながら、原爆被害についての理解を深めていきます。このプロセスを通じて、国際平和に貢献する若い世代が生まれてくることを企図しています。



この「日米・高校生平和会議」開催のためのクラウドファンディングを、オバマ大統領の広島訪問前日のきょう、開始しました。このクラウドファンディングでは、高校生と大学院生チューターをアメリカに派遣するための旅費、現地でのワークショップ開催のた…

週報170713

こんにちは。学部4年の水落です!
すっかり暑くなり、もう夏ですね。

あまり賛同は得られませんが、僕は夏が一番好きな季節なので割と活発です。
最近のマイブームはお風呂上がりにぷらぷらと散歩することです。
夜風はとても気持ちの良いものですが、蚊に刺され消沈して帰宅します。
なんならもう一回お風呂入るまであります。


さて、今週の週報ですが、共同プロジェクトの打ち合わせ、研究の中間発表に向けた話し合いについてご報告します。


1.ほぼ日共同プロジェクト-アイデアダンプ 本日よりほぼ日さんとの共同研究がスタートしました!


(写真:早野龍五先生)
早野龍五先生をはじめ、ほぼ日の社員の方々と共にアイデアダンプを行いました。 現時点で実現できそうなもの。単純にコンテンツとして見てみたいもの。学生ならではの突飛なアイデア。活発に行われた話し合いは気がつけば2時間を平気で経過していました!
まずはあまり制約を設けずに自由なアイデアを出そう!とのことで多くの魅力的な案が出ましたが、これから実際に作っていくためにはまだまだ議論の余地はありそうです。
とはいえ共同研究の初日、学生も社員の方々も無邪気に楽しく意見交換が行われていたのではないでしょうか。今後がとても楽しみです。

2.南アルプス市共同プロジェクト-現地調査に向けて 次に山梨県南アルプス市との共同研究である、「南アルプス市の地域の魅力を発信するアーカイブ」に関する打ち合わせがありました。
魅力発信のアーカイブではどのようなコンテンツを取り入れるのか。またそのアーカイブからユーザーは何を体感できるのか。エンジニア班とデザイン班で分かれ、全体的なコンセプトから、制作にあたってどの技術を使用するのかまで、こちらも活発に議論が行われました。
近日南アルプス市を訪れる際、地元の方々とさらにアーカイブ制作に向けて意見交換ができるのを楽しみにしています。

3.研究中間発表に向けて 8月の上旬に私たちの学科では研究の中間発表会が開かれます。 上記の打ち合わせの後、私たち学部生、院生、先生で研究テーマについての話し合いをしました。



研究内容はもちろんのこと、研究テーマのタイトル決めについての話し合いも行われました。 "名は体を表す"と言いますが、タイトルからその人は何をしようとしているのかが分かるようにしなければならない。適切な…

過疎集落における「対話と交流の“場”」の形成手法 -新潟県魚沼市横根集落における実践-

2年ぶりの投稿でドキドキしてます。
修士2年の木村汐里です。

さて、今日は私が2年間(3年間)やってきた研究について簡単に紹介したいなと思います。

私は、大学4年のときに出会った新潟県魚沼市にある過疎地域「横根」を対象地域として修士研究を行ってきました。

「こんなとこなにもない町なのになにするの?」と地域のみなさんに口をそろえて言われた3年前。そう言いながらも、なんどもなんども地域を訪れ、話をする中で、住民の方達の地域への愛を感じるようになりました。人口の減少や世代のかたよりによって、交流が減っている中で改めて地域住民同士がお互いの地域への思いや将来への希望を共有できる”場”をつくれないかと始めたのがこの研究です。





3年前、同じく横根でおこなっていた菊本さんの研究であるWEBコンテンツ制作ワークショップを考察し、その課題や成功例をもとに、過疎集落における地域活性化のための”場”を開催するためのメソッドとして、『起こりうる課題・それが起こりうる状況、そのための解決手法』を言語化してパターンにまとめ、それを使い、場を改めて実践・検討しました。


これらの活動を経て若い世代が地域行事の準備を手伝ったり、15年ぶりに夏祭りでこども神輿が復活したり....。地域の未来に対して課題意識をもって行動しようとする人が現れたり....と徐々に地域も変化してきました。地域が生き生きとした瞬間を何度も見ることができました。日本中にひろがる様々な過疎地域の活性化に少しでも役立てばいいなと思っています。








さて、私が渡邉研に入って一番良かったなと思うのは、『作る』を超える経験がたくさんできたことです。論理的にコンテンツを説明したり、表現する方法をたくさん教えてもらえたのはもちろんですが、いろんな場所に連れて行ってもらって、コンテンツがつなげる様々なモノ・ヒト・コトをたくさん感じることができました。デザインやコーディングの技術だけでなくそれがもたらしてひろがるつながりがすごく刺激的な3年間でした。

特に、研究としてはいった横根地区には、今後のずっと関わっていきたいなと思える『第二のふるさと』と呼べるような関係を築く事ができました。長期で一人で滞在しに行った時には、子供達が遊びに来てくれたり、夕ご飯に誘ってもらったり、お風呂を貸してもらったり・・。かけがえのない経験です。

同期をはじめとした刺激的…