みなさんこんにちは!デジタルツイン・メタバース空間における戦災の記憶の継承・平和学習について研究を進めています、渡邉研博士後期課程 片山実咲です。
この投稿では先日広島県で実施した「教育版マインクラフトで広島の歴史を学ぼう」ワークショップについてご紹介いたします。
2023年8月4.5日、東京大学大学院の渡邉英徳研究室、藤本徹研究室が共同で、広島の歴史を学ぶワークショップを開催しました。
ワークショップのテーマは「原爆投下前のヒロシマの暮らしと街並み」。かつて広島にはどのような街があり、それが原爆によってどのように変わってしまったのか。原爆投下日の8月6日を迎えるにあたり、世界の子供たちに支持されている「Minecraft」を通して、広島の歴史について理解を深めました。
写真:レストハウスでの学びの様子
ワークショップの参加者は小学校4-6年生。
講師は、下記の4名。
土井隆さん
マインクラフトカップ運営事務局総合ディレクター/東京大学情報学環学際情報学府客員研究員
タツナミシュウイチさん
プロマインクラフター/東京大学情報学環学際情報学府客員研究員
東京大学情報学環学際情報学府 教授(情報デザイン・デジタルアーカイブ)
東京大学情報学環学際情報学府 准教授(ゲーム学習論)
ワークショップの目的
本ワークショップでは、現在は平和記念公園になっている「旧中島地区」に焦点を当てています。旧中島地区は当時は広島市の中心部、幕末から明治・大正・昭和にかけて市内有数の繁華街としてにぎわっていた地域です。そこには、戦時下という制限はあれど、「当たり前の日常」「大切な家族や友人」という今の私たちとは本質的には変わらない、日々の営みがありました。
「産業奨励館前の砂浜であそぶきょうだい」(提供:片山曻 )
中島地区には約1,300世帯、約4,400人が暮らしていたものの、原爆の投下で爆心地から至近距離にあったため、全滅状態となりました(生き残ったとされるのはただ1人)。一発の原子爆弾で、当たり前にあった日常が破壊され、家族・友人を失い、その後も原爆の後遺症に悩まされるなどの被害が生まれました。
多くの平和学習プログラムでは、原爆投下「後」の焼け野原の写真から学習に入ります。その際、「そこに何があったのか」を知らない学習者にとっては、「原爆によって何が失われたのか」「誰がどのように傷ついたのか」を想像することは、非常に難しくなります。修学旅行生による「原爆が公園の上に落とされて良かったですね」というコメントも聞きます。
本ワークショップは、「原爆投下前」の街や暮らしを学び、自分たちの手で表現することによって、
①原爆投下前に人々がかけがえのない生活を営んでいたこと、
②一発の原子爆弾によって、街や家族、人生に至るまで、多くのものが失われてしまうこと
を学ぶことを目的に設計しました。
プログラム概要
1日目
目標:「原爆投下前の街や暮らしをマインクラフトで再現し、当時の広島にも『日常』があったことを知ろう」
- レストハウスで原爆投下前の広島の街や暮らしについて学ぶ
- 教育番Minecraftを用いて、原爆投下前の広島の街や暮らしを表現してみる
2日目
目標:「原爆投下後の被害や被爆者の方の経験について学び、当時の広島の『日常』が原爆によって失われてしまったことを知ろう」
- 原爆の被害、原爆投下後の広島について学ぶ(「ミライの平和活動展」内の原爆展見学)
- 被爆者「田中稔子さん」の講和を聞き、質疑応答する
- ワークショップで学んだことを発信するNPC(non player character)を設置する
- 発表
1日目
オープニング
本ワークショップでは5つのグループに別れて活動しました。まずはアイスブレイク。
写真:グループに分かれてアイスブレイク
今回は特別に、原爆ドームの被爆前の姿(旧産業奨励館)を再現した、原爆投下前の広島ワールドを作成しました。
下記のようにグループごとにテーマを設け、調べ学習をしました。
原爆投下前の街や暮らしについて学ぶ(レストハウス展示見学)
広島平和公園レストハウスの3階にある展示や模型を見て、原爆投下前の広島の街や暮らしについて学びました。「知らなかった!」という声と共に、真剣にメモをとっています。渡邉先生たちが作成した資料も展示されています。
写真:旧中島地区を再現した模型をみる参加者
参加者には、Minecraftで再現することを念頭に、事前に展示を見るポイントを伝えました。「その場所は何に使われていた?」「どれくらいの大きさ?」「どんなものでできている?」「なかはどうなっている?」などを意識してメモを取ります。
レストハウスから広島テレビに移動して、マインクラフトで街や暮らしを表現していきます。「正確さ」にこだわるのではなく、参加者なりに理解したこと、汲み取ったもの、考えたものを「表現」するようにしています。
グループのみんなで、展示メモを発表しあいながら「どこに」「何を」作るか、どのように役割分担をするかを決めていきます。
おおよその完成形がイメージできたら、実際に教育版Minecraftを用いて、ワールドの中で建築を行います。初心者から上級者まで、協力して一つのテーマを完成させます。表情は真剣そのものです。
ファシリテーターの紹介
本ワークショップでは、各グループにそれぞれファシリテーターがつきました。参加者の質問に答えたり、学びが深まるように問いかけたりします。
渡邉研M1の濱津すみれさん。
マインクラフトカップ運営事務局の大本まきさん。
企画メンバーの久木田弦さん。
渡邉研M1の山口温大さん。
渡邉研ゼミ生の西山こころさん。
2日目
2日目の目標は、原爆投下後の広島について学ぶことです。原爆被害に関する展示資料や、実際に旧中島地区で原爆の被害にあった被爆者の方のお話を聞きます。学んだことは、マインクラフトのNPC(Non Player Charcter)というキャラクター機能を用いて記録・表現をしました。
原爆展示の見学
渡邉教授の案内で、原爆投下後にどのような被害があったのかを学びました。
展示を見るときのポイントとして「街」と「暮らし」を提示しました。
被爆者の方のお話を聞く
田中稔子(たなかとしこ)さんは、旧中島地区で生まれ育ち、原爆の被害を生き抜いた方です。
展示資料だけでは学ぶことのできない、被害の実相について語っていただきました。事前に参加者に伝えたポイントは下記。3つのテーマに沿ってお話を聞いた後、質疑応答の時間を設けました。
講和は、広島市の被爆体験伝承者でもある渡邉研博士後期課程の久保田智子さんから、田中さんにインタビューをする形で進行しました。久保田さんの研究関心は、戦争体験のオーラルヒストリーや非専門家によるインタビュー手法。子どもたちにとっても、理解しやすいようにという田中さんと配慮のもと、わかりやすいお話がなされました。
質疑応答では、参加者から盛んに質問があがりました。1日目に自分たちで手を動かして、原爆投下前の街や暮らしを表現しているからこそ、当時の暮らしを理解しようとする解像度の高い質問が飛び交います。
大人も、聞き逃すまいと必死にメモを取りました。
学んだことをNPCで再現しよう ワークショップ2日目のアウトプットは、NPC(Non Player Character)を使った表現です。マインクラフト上では、作成者が自由にキャラクターを置くことができ、吹き出しを使ってメッセージを発信することができます。1-2日目にかけて学んだことを、ワールドの中で発信すべく、参加者一人一人がNPCを作成し、メッセージを書き込みました。
一人当たり、下記の3つのNPCを設置しました。
それぞれ、「誰が」「どこで」「どんなことを話すか」「なぜそれを伝えたいか」を整理して、作成に臨みました。最終発表
最終発表では、
- グループ発表(どんな街を作ったか)
- 個人発表(NPCにどのようなメッセージを込めたか)
を発表しました。
個人発表では下記のような発表がありました。
<当時の人の気持ちを想像した意見>
おじさん
「今の広島はいろんな店があるね。たとえば駄菓子屋さんと魚屋、印刷屋、八百屋、ふくや。その中でおすすめはありますか。」
駄菓子屋のおばちゃん
「いっぱい買って欲しいな、広島で一番売れて欲しいな」
<自分が考えたことを表現した意見>
けいた
「原爆は街が壊れたり、人は死んでしまったりしまうほど危険だから、これからもないようにしたいですね」
最後に講師の4名から講評をいただき、終わりました。
参加者とスタッフ集合写真
まとめ
今回の「教育版マインクラフトで広島の歴史を学ぼう」ワークショップは、原爆投下前にあった人々の暮らしや営みについて学び、教育版Minecraftを用いて実際に表現をすることで、原爆によって失われてしまったものの本質について考えてもらうことを目標としました。
人が亡くなり傷ついた「悲惨」な原爆の歴史と、子どもたちが「楽しむ」ゲームという、いわば対極とも言える両者を接近させる、非常にチャレンジングな試みだったと思います。
学習のデザインによっては、原爆の被害が軽んじられてしまったり、本質ではないメッセージが伝わりかねないなど、このような試みに対しては、まだまだ検討すべき課題が多く存在していると思います。一方で、当時の暮らしについて詳しく学んでMinecraft上で街を再現したり、住人の心情を想像したり、原爆の被害の多層性について考えNPCを通じて表現したり、他者と意見交換をすることは、単に受け身で話を聞く以上に「自分ごと」となり、参加者に多くの気づきを与えたくれたことと思います。
これまで様々な形で原爆の記憶の継承が模索されてきましたが、これからは、「被害に遭われた当事者の方から聞く意志のある人へ」というこれまでの伝承スタイルから、当事者を介さない伝承のスタイルに変化していくことと思います。心が揺さぶられるような「当事者性」や、数字では表現しきれない原爆被害の伝達の困難さはどうやっても乗り越えられないと思っている人も多いのではないでしょうか。多くの被爆者の方々と交流させていただいた私もその一員です。
その困難さも引き受けたうえで、これからの戦災の記憶の継承のあり方について、引き続き考えてみたいと思います。
本ワークショップに関わってくださった全ての方に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
縁の下の力持ちたち紹介
会場設営・管理 土居 剛幸さん(広島テレビ)
企画・現場マネジメント 濱田璃奈さん(藤本研)
全体サポート 原田真喜子さん(日本学術振興会 RPD)
写真・映像・記録管理 Kevin Yang (渡邉研)
※本イベントはMinecraft の公式のイベントではありません。Mojang または Microsoft から承認を受けておらず、それとの関連性もありません。
※本研究はMojang または Microsoft とは関係の無い個人活動のため、Mojang または Microsoft の意見・考えとは異なる場合がございます。
文責:2023年8月 渡邉研究室 片山実咲