こんにちは。渡邉研文人コースD3の大井と申します。
この度、東京大学大学院学際情報学府博士後期課程を修了し、博士(学際情報学)の学位を授与していただけましたことを謹んで報告させていただきます。
また、ひとつの区切りということで、渡邉研でのここまでの大学院生活・研究生活の軌跡をゆるりと振り返る形で、僭越ながらここでのラスト・ブログとさせていただければと存じます。
なお、この度の博士学位論文の内容に関しましては、博士論文や関連論文などをご高覧賜れますと幸甚です。
本ブログでは、self-Stockしない限り自分の心の中を揺蕩って、そのうちきっと消えていってしまいそうな、論文には表せないくだらない話を徒然と残させていただければと存じます。
(そんなわけで博士論文についてはここでは書かないのですが、備忘録として、博論の終章を執筆している時に、比喩ではなく文字通り、ボロボロ泣きながら書き、キーボードを涙で濡らしながら完成させたことをここに残しておきます。この終章号泣執筆事件の原因は自分でもよく分かっていないのですが、何度ラップトップを閉じて珈琲を淹れ直してから向き合っても気づいたら書いていると涙が止まらなくなってしまい、困った不思議な体験でした…。)
さて、そんなわけで少し過去を振り返ってみたいと思います。
私と情報学環・渡邉研との出会いは、オーソドックスに大学院入試の説明会の場であったと思います。
当時の私は、教育現場で抱いた問題意識をもとに、学習者の「問い」と多様な資料や情報を接続し、「タイムマシーン」や「どこでもドア」のような時間的・空間的な距離を乗り越える情報デザインの実現を目指していました(なお、今思うと当時の研究計画は結果的には修士研究・博士研究の内容とは大きく異なりましたが、根幹の理念は当時も今も変わっていません)。
あれこれ考えた結果、その理想の実現のためには、どうやら院進によって研究をする必要がありそうだぞというところまで辿り着いたわけですが、難しかったのが受験先です。教育現場の出身なのでまずは教育学系を中心に、少し広げて人文系や工学系の大学院なども候補に各地の研究室を調べたり訪問したりしました。しかしながら、そうした中で私の研究構想に対しては、(ざっくり要約すると)「それは意味があるんですかね(どこが面白いのか分かりかねます)」/「それは実現できないのではないか(少なくともここではできないんじゃないですかね)」という主旨のお言葉を頂戴することとなり、「所詮自分の思い描いていることは、くだらない妄想で夢物語に過ぎないのだろうか」と落ち込んでいました。
そんな渦中で半ば諦めムードで訪れたのが、情報学環・学際情報学府の説明会でした。新緑輝く穏やかな日が差し込む美しい福武ホールで、年甲斐もなく学環の研究と学府の教育が面白そうすぎて、ワクワクが止まらなかった胸の高まりを、今でもよく覚えています。
その際、渡邉先生に初めてお目にかかり、お話をさせていただく機会を頂戴しました。そこで恐る恐る自身の研究計画をお伝えしたところ、初めて、「面白いですね」と「きっと実現できると思いますよ」という今まで否定されてきた評価とは真逆の所感を拝受することができたのです。嬉しい気持ちをグッと抑え、ここしかない、ここで研究がしたいと意を決し、本格的に受験勉強を開始することにしました。
働きながらの勉強は相当にしんどかったですが、たくさん本を読み、論文をレビューし、ノートを何冊も作り、自分の見方・考え方が情報学環仕様にアップデートされていくプロセスは、自身の身体すら拡張されていくような、不思議で楽しい感覚でした。
(...でもやっぱり働きながら勉強し直すのは大変でした。英語ひとつとっても、ただの社会科教員だった私からすると一から勉強をし直す必要があり、スコアを上げるために努力を要しました。)
当時の学府入試の一次試験は、研究計画・業績書・自己推薦書・英語などの一般的な院試の評価対象・試験科目に加えて、数学や国語(?)などの筆記試験があったのですが、国語(?)の方はイメージとしては東大の学部二次試験の現代文に近いのですが(実際、試験対策では東大の赤本も結構解きまくりました)、それに社会学や教育工学などの高度な研究知識と瞬時に脳内で議論を組み立て構造化し、短い論文を瞬時にその場で書くような力が求められる特殊な内容で、対策が非常に難しかったです。上記の赤本での対策の他には、とにかく研究書籍を読み漁り、ノートにレビューを書きまくる日々でした。
試験本番では、緊張と書かねばならい量の凄まじさと問われていることの難しさにより、ずっと手と心臓を痙攣させながら書き続け、確実にあの間に寿命が縮まったと確信しています。終了後もしばらく震えている掌をギュッと握りながら安田講堂を背にぼーっと美しい本郷キャンパスの景色を眺めていた光景が忘れられません(試験会場は工学部だった気がします)。人生で一、二を争う脳への負荷を感じた日でした。
結果的にはなんとか合格することができ、修士課程・博士課程と、長くも短い、かけがえのない時間を本郷で、wtnv Labで過ごすことになりました(ここでは詳述しませんが、副専攻の関係で駒場にも定期的に通いました)。
試験勉強と同様、社会人学生として働きながら授業を受けて単位を取り、自分の研究を進めることは容易な道ではありませんでしたが、先生や家族、ラボメンや研究仲間たちの深い支えにより、今日の日を迎えることができました。この間、研究や仕事、プライベートなどで出会い、お世話になった方々に深く感謝を申し上げます。
渡邉先生の学生を縛らずやりたいように自由に活動をさせくださる懐の深さや、実践や社会実装を重んじる姿勢は、理論より先に実践を進めてしまう私にとっては非常にありがたく、限られた時間の中でオリジナリティのある研究成果を出すためにとても理にかなったクリエイティブな環境でした。領域にもよるとは思いますが、基本的に修士以上の研究の世界は主体性がなく受け身だとしんどい世界なのかなと存じます。その中でもとりわけ渡邉研は、主体性爆発みたいな人が集まっていて、自分で実践や開発をゴリゴリ進めていく人が集結している印象でした。ラボメンバーは本当に個性的で一癖も二癖もある面白い方ばかりだったので、いろんな影響を受けてきました。各方面で大活躍されている凄い人たちばかりで落ち込むことも多々ありましたが、総じてこの仲間たちとの素敵な出会いも、私にとってかけがえのないものになりました。仲間がいることで、乗り越えられたこともたくさんありましたし、一緒に議論したり展示したり学会に行ったりした時間は、とにかく楽しく尊いものでした。
(追伸:タスクや〆切が立て込んで忙しかった時の送別会で、私がリアルに卒倒して気を失い倒れてしまった際も、皆さんが優しく介抱してくださり家まで送ってくださったご恩も決して忘れておりません!)
あと意外と語られる機会が少ない気がするので筆を進めてみますが、学府や関連カリキュラムで提供されている授業も、非常に面白いものばかりでした。面白すぎた結果、最終的には136単位を取得し、いくつかの資格科目(学芸員・司書など)やリーディングプログラム(IHS)、大学横断プログラム(DH)なども修了することができ、多面的・多角的に研究を深める知見を得ることができたように思います。特に印象に残っているのは「吉見俊哉を批判せよ」という吉見先生の伝説の授業と、学府の名物科目「制作展」でしょうか。どちらもハードな科目なのですが、それ以上に自分の輪郭が揺らいで再構築されるような刺激的で濃密な時間が流れる授業で、終わった後はア◯ターのフィー◯ーみたいな自分以外の何かと繋がれるような知覚の変化を錯覚した次第です(とは言え、もう一度受ける気力と体力はもうない気がします…)。
昨年の春からは新天地で最高の環境で研究と教育を継続・発展させられるステキなご縁をいただき、既に情報学環・学際情報学府と同じくらい大好きになっています。まだまだ至らないところばかりの未熟者ですし、研究も教育もやりたいことがあり過ぎて一旦ワクワクを抑えるところから頑張っています。これまで一人で頑張ってきたことも、これからは素晴らしい後進と共に共創できることも心強く、楽しみで仕方ありません。
きっとこれからも大変な困難や失敗・挫折もあり、落ち込むこともあるかと思いますが、暖かく見守っていただき、時には背中を押して支えてくださりますと幸甚です。
私自身も常に先生からいただいた以下の言葉胸に、どんな困難な壁にぶち当たっても、挑戦し続け、乗り越え、新しい出会いと景色を大切にできる研究者と教育者でありたいと思います。
「人生万事、塞翁が馬」
引き続きご指導ご鞭撻を賜れますよう何卒よろしくお願い申し上げます。
大井 拝
2026年3月吉日
